設立趣意書
1.趣旨
幕末から明治期、雲井龍雄の生きた時代は、対外認識、特に中国に対する西力東漸の実態が明らかになり、日本は西洋の文化導入による近代国家建設が必要不可欠の時代でした。
そんな時代背景にあり、龍雄は愛国の志士・情熱の詩人として活躍するも、薩長藩閥政府に対して、是は是、非は非として、常に真実を追い求めて権威・権力に正面から立ち向かいますが、不平士族を政府に帰順させる説得所として「帰順部曲点検所」を設けますが、新政府から不平士族の屯所と危惧され、明治3年(1871年)2月に小伝馬町の牢屋敷で斬首され、小塚原に梟首されます。(雲井事件)
遺骸は刑場に埋められましたが、明治12年頃、山下千代雄(のち衆議院議員)らが遺骨を掘り出し、谷中天王寺の吉田松陰の墓のそばに埋葬、米沢では昭和5年(1930年)に小島家の菩提寺常安寺で60年忌法要を営み、遺髪を埋めて供養し、更に谷中に埋葬した遺骨が改葬されました。
常に真実を追い求める龍雄の姿勢、拷問を受けても決しても屈しない姿勢、彼の首を切り落とした首切り役人の山田浅衛門が後年「今や刑場の露と消える刹那に、神色自若として控えていた有様は、敬服の外ありません。やっぱり一流の人物は違うものだと心中我ながら敬服しました。」と述べています。
このように信念を貫き、反骨に生きた龍雄について、遺徳を偲び、その功績を世に知らしめるため、米沢市城南の常安寺には墓碑、米沢市城西の旧小島家跡地の一角には「憂国市紙・雲井龍雄遺跡」の石塔が建立され、米沢の貴重な史跡として紹介されています。
昭和61年(1986年)から、有志によって米沢市常安寺の雲井龍雄墓前において「雲井龍雄祭」が営まれ、34回目の供養祭も今年(令和元年)6月16日に営まれました。
また、戊辰戦争から150年、2年後は雲井龍雄没後150年にあたり、龍雄の描いた人生行路は、短命だったこともあり、米沢藩や日本の近代国家建設に対し目に見えるものを多数残すことはできませんでしたが、龍雄の残した漢詩の数々は明治期の青年たちに広く愛唱され、今日も詩吟愛好者に知れ渡っております。
この機会に龍雄が指摘した明治新政府の本質とその主導の下に歩んだわが国の歴史を振り返り、更に掘り下げると共に、時代変貌速度が速く、そして魑魅魍魎とした現代社会に於いては、過去に多大に功績を遺した偉人伝の継承だけでは見えないものを見出し、これからの日本が歩むべき道を考えたいものです。
そこで私たちは、功績の研究活動や情報発信、顕彰活動をこれまで以上に活発化させることで、米沢市民をはじめとする一般市民に対し、雲井龍雄の栄誉を称え、その功績の顕彰に関する事業に効果的に取り組み、地元米沢の歴史・文化・芸術や観光の振興及びそれらを活用した地域づくりの推進、また、郷土のさらなる人材輩出に寄与したいと考えます。
上記の目的を達成するためにも、組織体制の強化と、社会的な認知度及び信用性を高め、活動基盤を確立することが重要であり、法人化が必要であると考えたことから特定非営利法人を設立するものです。
2.設立までの経過
1986年より雲井龍雄祭を開催(34回)。
1986年よりセミナーの開催し雲井龍雄の功績を研究。
2017年より雲井龍雄の銅像建立実現に向け、NPO法人化について団体内部で検討開始。
2018年5月4日の設立総会において、NPO法人の設立について承認を得る。