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平素は格別のお引き立てを賜り、ありがたく御礼申し上げます。

さて、本年も『第21回堀粂之助墓前祭』を下記の通り開催いたしますので、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。

  • とき:2024年(令和6年)11月9日(土)
  • 時間:15時00〜15時40分
  • 場所:龍泉寺(米沢市大町4丁目1−46)堀粂之助墓前
  • 費用:無料

御住職の読経、参列者の焼香、詩吟などを予定しています。

堀粂之助とは

※堀粂之助(くめのすけ)は天保9年(1838)に、会津藩士・堀清左衛門(ほりせいざえもん)の長男として生まれました。
文武に優れ、藩校南学館の助教となり、京都では精選組(せいせんぐみ)隊士となります。
戊辰戦争が始まると、藩主・松平容保と共に会津へ戻り新政府軍と戦いますが、明治元年(1868)8月23日に会津若松城は、新政府軍に包囲され、厳しい籠城戦が始まりました。
この危機に、堀粂之助と吉村寅之進の二人は、容保から米沢藩へ援軍依頼の命を受け、敵の包囲網をくぐりぬけて米沢に向かいました。

二人の米沢到着は9月3日、直ちに米沢藩首脳に援軍要請しました。
しかし時すでに遅く、米沢藩は新政府軍への降伏を決意した直後でした。
援軍が無理と悟った粂之助は、米沢藩が駄目なら仙台藩に依頼すべきとする吉村の意見を容れず、使命を果たせなかったとして、9月5日(新暦では10月20日)に宿舎で自刃しました。(享年31歳)

粂之助の死後、寅之進は仙台に向かったか、または会津に戻ったかは不明でしたが、新たな玉梓が出てきたとの情報もあります。

 

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