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今年も悲劇の会津藩⼠「堀粂之助の墓前祭」を下記要綱にて⾏いたくご案内致します。

  • ⽇時:2025年(令和7年)11⽉1⽇(⼟)15時〜16時
  • 場所:⿓泉寺 堀粂之助墓前(山形県⽶沢市⼤町4-1-46)Googleマップ
  • 内容:御住職の読経、詩吟、焼⾹、献花

堀 粂之助

慶応4年(明治元年)⿃⽻・伏⾒の戦いより戊⾠戦争が始まり、江⼾城開城後、薩⻑中⼼の新政府軍は攻撃の主⽬標を会津に向けます。
8⽉に会津若松城は新政府軍に包囲され厳しい籠城戦となりました。
この危機状況で堀粂之助と吉村寅之進は会津藩主松平容保より⽶沢藩へ援軍依頼の命を受け、敵の包囲網を潜り抜け9⽉に⽶沢に到着し援軍の要請をします。
⽶沢藩は奥⽻越列藩同盟の主軸として越後⽅⾯で新政府軍と戦いますが、総督の⾊部⻑⾨も戦死し破れて⽶沢に戻り堀、吉村の到着前に降伏を決めていました。
つまり⽶沢藩が援軍を出すことはできなく、堀粂之助は⽶沢の宿で割腹し、吉村寅之進は、おそらく無理と思いながらも一縷の望みをもち仙台藩に向かいました。
堀粂之助の遺体は⿓泉寺に葬られ、その後現在に⾄るまで有志によって墓前祭が⾏われてきました。
昭和46年墓が整備され墓碑も建てられ、墓碑の揮毫は松平容保の孫にあたる松平勇雄参議院議員によります。

堀粂之助の辞世

神かけて 誓ひしことの かなはねば ふたたび家路 思はざりけり

 

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